ハクチカラが生まれてからすでに半世紀以上が経過しているのですが、この馬が残した記録は消えることはありません。
父はトビサクラ、母は昇城。管理する調教師は大尾形とも呼ばれた、尾形藤吉氏。
日本ダービーや天皇賞、有馬記念、目黒記念を制する、この時代のトップホースでした。
圧倒的な強さを武器にアメリカ遠征を決行したのですが、日本馬初のアメリカ遠征であったかもしれません。
日本では最強であったとしても、あくまでもそれは日本でのこと。
アメリカとはかなりの差があることは多くの人が理解していたはずですが、もしかしたら…と期待していたはずです。
やはりはじめは大差負けばかりだったようですが、徐々に調子を上げて、そして芝レースを使ったことによって、着順も上がってきました。
そしていよいよワシントンバースデーハンデキャップ。
最強馬ラウンドテーブルを相手に見事に勝利を収めます。(ラウンドテーブルは30馬身差の最下位)
その後もアメリカで走り続けるものの勝つことはできず、引退。
種牡馬入り後はあまり活躍できず、結果的にインドで種牡馬生活を送ることになります。
そして様々な功績が認められた結果、ハクチカラは顕彰馬にも選ばれています。